ジャンボール・ゴルチエ JEAN-PAUL GAULTIER:1976-(FRANCE)

ジャンボール・ゴルチエ JEAN-PAUL GAULTIER:1976-(FRANCE)

パリの、いや世界のファッション界きってのアンファンテリプル、ジャンボール・ゴルチエは、茶目っ気たっぷりに衣服に関する様々な要素を「リミックス」する。そう、彼にとってミックスさせるモチーフは何でもありだ。(2017年08月19日 最終更新)

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パリのピガールに軒を並べ毒々しいネオンに輝くセックス・ショップから、ベラスケスの絵画に描かれるエレガントな宮廷人、そしてモンゴルの民族衣装や日本の着物に至るまで、時代、場所、文化、さらにはジェンダーを自由に横断し、寄せ集め、結合させる。そういった要素自体、その発展過程や環境において多くの他の要素が混合して成立しているわけだから、それらを「再び」組み合わせるという意味でもこの言葉はぴったりだろう。機かに、「リミックス」という一言葉は90年代を語るうえでのキーワードのひとつだ。しかし、多くのデザイナーがそれを表面的もしくは美的にしか実践できなかったなかで、ゴルチエはそれぞれの要素の深層に切り込み、埋もれていた意味を引き出し、パンク的なラディカルさをもってそれぞれのパーツを混ぜ合わせたり対立させたりしながら再構築する。しかもそこには彼独特のユーモアがふんだんに織り込まれていて、ときにはアイロニカルに、ときにはあまりの不真面目ささに笑ってしまうようなアイデアで作品やコレクションの舞台を作りあげる。裏切りと驚きの連続であり、そうした意外性に満ちた彼のコレクションを観ようと各国のジャーナリストやバイヤー、セレブレティーたちが押しかける、パリで最も人気の高いデザイナーのひとりなのだ。
パリ近郊の街アルクイユで1952年に生まれたゴルチエの少年時代を彩るのは、祖母の思い出である。クチュリエールであり美容師であり、ときには催眠療法も施していた祖母。その家は近所の女性たちのサロンでもあった。そこにゴルチエは学校帰りに立ち寄っては、そういった彼女の仕事ゃ、テ
レピで流れるオートクチュールの特集を見ながら、熊のぬいぐるみ”ナナ“に化粧を施したり、毛を染めたりすることを思いつく。最初のモデルだ。さらに、そこでは成人指定映画も含めてあらゆる種類のテレビ番組を見ることが許されていた。あるとき、キャバレー「フォリー・ベルジェール」のショーをテレビで見て、その衣装の奇抜さと豪華さに完全に魅了され、より強くモードの世界に憧れるようになる。やがて、18歳の時に描いたデッサンがピエール・カルタンの目に止まり、それがきっかけとなって、当時を代表するこの未来派のクチュリエの下で、彼のデザイナーとしての経歴は始まった。カルダンのメゾンや二度出てから戻るまでの間、ジヤツク・エステレルのもとで経験を積み、また、ジャン・パトゥーのメゾンでミシェル・ゴマ、アンジェロ・タルラッチのアシスタントをしている。彼の服には、よくクチュール的な伝統とサブ・カルチャーからの引用が見られるが、それにはこうした青少年時代の記憶が強く作用しているようだ。
1976年のデビュー-コレクション以来、ゴルチエはリミックスの作業を通してモード界の様々な規範に反旗を翻す。
空き缶をプレスレッ卜にリサイクルして日常的な物に潜む多目的性を示したり、サテンのビュスチエにビニールのパンツを合わせて、素材間に存在するヒエラルキーを揺るがせたりする。80年代の半ば頃からは、男女のセクシャリティーに対する問題提起を果敢に行うようになった。その主張のベク
トルは性別によって大きく変わるようだ。レディースにおいてはそのセクシャリティーを派手に強調する。彼の代表作のひとつである、マドンナがワールドツアーで新たコーン・ブラや、サドマゾ的なボンデージ・ファッション、コルセット・ドレスはフェテイシズムを強く喚起させる。それによって、セクシャリティーを隠蔽しようとするモードの「良い趣味(ポン・グー)」から逸脱し、そこに閉じ込められている女性たちを解放しようというのだ。一方、メンズの分野では、男性モデルにスカートを穿かせ、服の裾をレースで縁取り、華麗な刺繍を施すなど、女性のアイテムと思われているものを取り込む。シャネルやサンローランは女性のワードローブにテイラード.スーツやスモキングといったメンズ・アイテムを導入したが、ゴルチエはこれを男性に対して行い、男が着飾ることを肯定する。着飾ることは他者の視線を積極的に受け入れ「自分」というものを演じる、つまり、自分が「見られる存在」であることを自覚し、それを存在論的に引き受けることである。最初のメンズコレクション(84年春夏)のテーマが『オム・オブジェ』(「ファムオブジェ」をもじった「物あるいは対象としての男」という意味の表現。「オブジェ」は種々の異質な素材をリミックスさせる立体芸術作品もさす)であることからもそういったゴルチエの意図が窺える。さらに、それを自ら実践するかのように、短く刈りあげたブロンドヘアに青いストライプのマリンシャツ、スカート、ドクター・マーチンのブーツという独特のスタイルを好んでするようになるのもこの頃からである。彼は言う、「女性は自分の力を示す権利があるし、男性も自分の弱さを見せる権利がある。(・・・・・・) 男らしさ、女らしさの問題に関しては、多くのことが女性に対して行われてきたと思う。逆に、男性に対しては、モードの世界ではすべきことが山ほどある」。
90年代に入ると、こういったモードの規範からの逸脱を続けながらも、伝統的なクチュール精神への回帰が色濃く現れてくる。そして、満を持したかのように97年春夏からオートクチュールの世界へ乗り込む。これは別に不思議なことではない。事実、彼自身も告白しているようにクチュールは「ずっとやりたかった」ものだからだ。プレタポルテほどの奇抜さはないにしても、オートクチュールでもゴルチエの方法論は健在だ。古着のデニムに豪華な刺繍を施してルダンゴトに仕上げたり、18世紀のパニエを迷彩色で染めあげたりする。一方、プレタポルテでも帯をコルセットに替えた着
物(ゴルチエは帯とコルセァトに共通している身体拘束性を見抜いている)や、2001-02年秋冬では、袖、ベスト、パンツの裾、スカート、ガードルといった服のパーツをまとめあげたパッチワーク的な作品を発表している。ゴルチエがパリ・クチュールにおいて敬愛するのは、正確で緻密な職人的服作りの姿勢と、「貴族的なものと大衆的なものといった衣服のカースト制を混ぜ合わせる」パリ的シックの伝統だ。これまでの偉大なクチュリエたちが、時代の空気を敏感に感じ取り自分の作品のなかにミックスすることで新しいエレガンスを創造したと考えるならば、ゴルチエもまた彼らの正統的な後
継者だと言うことことができるだろう。
ゴルチエは現在、プレタポルテの「ジャンポール・ゴルチエ」とオートクチュール「ゴルチエ・パリ」に加えて、ユニセックスのセカンド・ブランド「JPG」を展開している。コレクションのほかにも、マドンナやイヴェット・オルネルのステージ衣装、さらにはピーター・グリーナウェイの『コックと泥棒、その妻と愛人』、ヴィクトリア・アブリルの「キカ」、リュック・ベッソンの『フィフス・エレメント』といった映画の舞台衣装を手掛けている。2000年の秋に東京・上野の森美術館で聞かれた来場者参加型の展覧会が大成功を収めたことは、彼のスタイルが日本でも多くの人に受け入れられている証拠であろう。
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