O・Z・O・C オゾック:1993-(JAPAN)

O・Z・O・C オゾック:1993-(JAPAN)

1990年代、世界の企業はマーケティングにコンピュータという新しいメディアを採用し、現場の情報を迅速な需要予測につなげる試みを本絡的に始動した。日本ファッションにおいてこの流れにいち早く共鳴したのが「A/T」(エー・ティー)であり、この試みを大規模に展開したのが「0・Z・0・C」であった。(2017年08月17日 最終更新)

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オゾック

「0・Z・0・C」(オゾックOwn Zone Original Comfortの略)は、1993年田山淳朗( 1955~)をチーフ・テザイナーに、日本を代表するアパレル企業の一つ、「ワールド」から発表された。20代前半の女性に照準を絞り、顧客の声を反映した迅速な商品供給、SPA (製造小売業)型ビジネスという新しい試みに挑戦。
不可能と考えられていた需要予測に取り組み、コンピュータを駆使した正確な販売計画によるコスト・ダウンによって低価格の流行服を目指した。東京、パリ、ニューヨーク、さらにアジア各国にも進出し、98年には184億円という売上げを叩き出した。
デザイナーの田山は、文化服装学院卒業後、1974年ワイズ入社。82年「A/T」を立ち上げ、85年東京コレクションにデビュー。若い女性を対象とし、流行り要素を適度に取り入れた服作りで人気を得た。91年にはより高いプレステージを持つ「Atsuro Tayama」をパリで発表している。
「オゾック」の成功は日本のアパレル企業がSPAに乗り出す大きな契機となり、「エー・ティー」は96年からデザインを板倉慶二に引き継いだ後も、消費者の〈今〉の要求を正確に把握し、それを反映するもの作りを続けている。
田山は、フランスを代表する既製服ブランドの一つ「キャシャレル」のデザインを手掛けた経歴を持つ。消費者が注目する流行の要素を素早く、しかも正確につかんで大量生産システムにのせる彼の能力に注目したのが、「ワールド」だった。
自らの感性のみに頼らず、数値化による容観的な分析を怠らなかった田山の姿勢が、これらブランドの成功の原動力となったのである
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