エルメス HERMES:1837-(FRANCE)

エルメス HERMES:1837-(FRANCE)

高級馬具工房としてのエルメスの創業は19世紀、1837年のこと。フランスが未曾有の平和と繁栄を享受した第二帝政期( 1850-70) はオートクチュールをはじめ奢侈品産業が栄えたエポックメイキングな時代だった。(2017年08月17日 最終更新)

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エルメスもまたこの時代の波にのって繁栄をとげたブランドである。自動車が登場する以前の19世紀、馬車はいちばん明白な「ブランド」であり、壮麗な四輪馬車の「ベルリン」やスマートな無蓋四輪馬車の「カレーシュ」など、おしゃれな馬車はパリのハイライフに不可欠の道具だった。エルメスのもつ独特の高級感は、創業当初のこの貴族的ハイライフのなかから育まれたものである。ちなみに、後にエルメス・ブランドの商標に使われる馬車は、当時の貴婦人たちに人気を博したエレガントな馬車「ル・デュック」をデザインしたものだ。
こうして上流人士を顧客にしたエルメスは、世紀末の1880年、本格的に高級鞍造りとしてオープンし、それを機にフォーブルサントノレ24番地に店舗を構える。現在にいたるまでオートクチュールはじめ香水店から宝飾品店まで高級ブランドが立ちならぶフォーブルサン卜ノレ通りだが、ひときわ目立つ角地にそびえる華麗なエルメス本店は、世界に名だたるパリ・モードのシンボル的存在ともなっている。
この「馬具工房」エルメスが「バッグ工房」に転身をとげた背景には、経済的文化的コンテキストとして、おおげさに言えば19世紀資本主義から20世紀資本主義への転換が存在している。というのも、20世紀は「自動車の世紀」であり、「アメリカの出紀」であるからだ。エルメスのコ一代目エ
ミールモーリス・エルメスは、第1次大戦のさなかにアメリカにわたり、自動車産業の誕生に直面した。つまり彼は馬車の時代の終駕をまのあたりにしたのである。しかもエミールルがかの地で見たのはそれだけではなかった。フォード・システムが立ちおこった20世紀初頭は「大量生産・大量消
資」の華々しい幕開けであった。
エミールは、ヨーロッパの貴族的文化とまったく異質な大衆文化の到来に直面したのである。
高級「バッグ目尚」エルメスの誕生は、このクリティカル・ポイントに立ったエミール・エルメスの決断から生まれたと言っても過言ではない。そのときエミールはその後のエルメスを決定づけるこつのことを選択した。一つは、主力商品を「鞍」から「ハンドバッグ」などの革製品に転換すること、第2は、商品が変わっても製造過程はこれまでの鞍造りと同じく伝統的ハンドクラフトを採り続けることである。
時代の先を読むエミールの慧眼は見事に当たっていた。彼の決断どおり、ハンドバッグ商工ルメスは見事な成功をおさめる。クージュ・セリエと呼ばれる鞍縫いの職人的製法をあえてそのまま活かした革製のバッグは、20世紀のクライアントたちのハートをつかんだ。後のケリーバッグの原型となるオータクロアは鞍入れとしてすでに世紀末から製造されていたが、それを「ハンドバッグ」にかえ、縫い目を表にだすクージュ・セリエをあえて「デザイン」にしたエルメスの製品は、絹製のバッグしか知らなかった女性たちを斬新なモダニティの魅力でひきつけた。やがて家の外で女性が活躍する時代をむかえる20世紀、エミールの選択は時代をリードしていたのである。こうして男性がクライアントだった馬具商エルメスは、女性のあこがれのブランドへと鮮やかな転身をとげたのである。
エミール・エルメスはもうひとつ、20世紀ブランドにふさわしい選択をしていた。どれほど注文がこようと決して大量生産をせず、あくまで職人芸の匠に徹するハンドクラフト主義である。エルメスのこの少量生産主義は、自動車王フォードの起こした大量生産システムとの「対決」から誕生したのだといっても過言ではない。しかもエルメスのとった選択は、ひとりエルメスをこえて、いわばブランドの本質にかかわる問題だといってもいいだろう。なぜなら、ブランドの条件の一つは「希少性」にあるからである。大量生産品の普及は、逆説的に少量生産の側値を高める。誰もが安価な商品を入手できる大衆消費社会の到来は、入手困難な高価格商品へのあこがれを呼び覚ますのだ。ブランド独特のオーラはこの「希少性」に由来しているのである。20世紀の大量生産に直面したエルメスは、あえて19世紀的生産システムを設ることで、ブランドへの王道を歩んだのである。
実際、人びとのエリート意識にアピールするエルメスのバッグは、世界の上流人士に愛された。モナコ王妃グレース・ケリーが愛好したことからケリーバッグの名で知られるようになる「ケリー」さらに歌手・女優のジェーン・パーキンが特注したので「バーキン」と呼ばれるパッグなど、あまりに有名な代表例だろう。
さらにエルメスはバッグやベルトなどの革製品だけでなく、新しい商品開発にも熱心だった。1937年、初のスカーフが発売される。名高いエルメスのスカーフ「カレ」の誕生である。題して「オムニバスゲームと白い武婦人」。このようにそれぞれの商品にモチーフをつけて物語性を付加するのも
エルメスのブランド戦略だ。毎年ちがったモチーフをうちだすことで、スカーフもまた年ごとに差別化されるからである。
ブランドはこのような希少性と差異性からなっていることをエルメスは知悉しているのだ。一時期、他のブランドがライセンス方式による量産に傾いた後も決して同じ轍を踏もうとしないのも、こうしたエルメスの姿勢をよく語っている。エルメスの商品は、大衆の「手に届かない」ものだからこそ魅
力を放つのだ。
こうして幾重にも贅沢な高級感にあふれたエルメスは、店舗にも物語性を付加している。売り子のアニー・ボウメルのアイディアに端を発したウィンドウ・ディスプレイに始まり、レイラ・マンシャリの華麗なディスプレイが話題を集めたのは1977年のこと。以来、現在に至るまで、フォーブル=サントノレ24番地のウィンドウ・ディスプレイは、パリ名物となり、店じたいが格好のパリ「観光名所」にすらなっている。
こうして語のあらゆる意味で伝統を重んじるエルメスは、といってモードの「現在性」の魅力にも決して鈍感ではない。
大戦直後の1947年にすでに製造を始めていた香水は、60年代に馬車の名をネーミングにした「カレ-シュ」の発売とともに香水部門を独立させ、口紅なとの商品(ルージュエルメス)も開発している。けれども、そうしたコスメ関連商品にもまして「伝統のエルメス」の新たな決断として話題を呼んだのは、1998年、レディスプレタポルテ部門のテザイナーに前衛的デザイナー、マルタン・マルジェラを起用したことだろう。服を裂いたり、古着を使ったり、伝統的オートクチュールに大胆な冒険をもちこんで「破壊者」の異名をとるこのベルギー出身デザイナーの登用は、21世紀にも輝き続けようとするエルメスの新たな挑戦として注目を集めている。
時代の先端をゆく前衛性と、貴族的ハンドクラフトを死守する保守性―二つのセンスをかねそなえたエルメスは、商品がたんなる商品以上のオーラをまとうブランド現象を知りぬいたブランドなのだろう。