サルヴァトーレフェラガモ Salvatore Ferragamo:1935-(ITARY)

サルヴァトーレフェラガモ Salvatore Ferragamo:1935-(ITARY)

イタリアのフィレンツェに本拠地のある、靴で著名なブランド。天才的な靴職人、創始者のサルヴァトーレ・フェラガモ(Salvatore Ferragamo:1998-1960)が足の骨格を研究して生み出した靴は、履き心地が良く、それでいて斬新なデザインと変わった素材使いという、両立しそうもないことを両立さ せていた(2017年08月17日 最終更新)

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ウィンザー公爵 夫人やオードリー・ヘップパーンなど、各国の王侯貴族をはじめ、有名な映画女優たちがフェラガモの顧客として名を連ね、世界中に認知された。サルヴァトーレ・フェラガモ亡き後は、ワンダ夫人と故フィアンマ、ジョヴァンナ、フェルッチオ、フルヴィア、レオナルド、マッシモの6人の子供、さらに孫がそれぞれ重要なポストに就き、経営にあたっている。近年は、リボンの付いたパンプスの代名詞ともなった「ヴァラ」の靴だけでなく、レディースとメンスのプレタポルテ、ハンドバッグ、香水などのファッション製品も扱う総合ブランドとなった。他のメゾンがライセンス・ビジネスによって経営のための潤沢な利潤を得ているこの時代に、「フェラガモ」のライセンス契約は香水のみで、それ以外は全て自社で取り扱っている。さらに1996年には、パリ・オートクチュールのメゾン「エマニュエル・ウンガロ」を買収した。戦略的にパートナーを捜していた「ウンガロ」が、買収劇を繰り広げている巨大グループではなく「フェラガモ」を選んだことは、「フェラガモ」がイタリアで最も成功しているファミリー・メゾンの1つで、靴職人から世界的なファッション・ブランドへの成功を遂げたことを象徴していると言えるだろう。
「フェラガモ」の世界的なブランド・イメージを作り上げたのは言うまでもなく、靴である。総合ブランドとなった現在でも、全体の売り上げのほぼ半分を占めるほど重要なアイテムである。故サルヴァトーレ・フェラガモ本人が手掛け、各国の王侯貴族をはじめ、有名な映画女優たちが魅了された靴
は現在、フィレンツェのフェラガモ本社、スピーニ・フェローニ宮殿に開設したサルヴァトーレ・フェラガモ博物館で展示されている。その中には、ラフィアやセロファン、レースやストロー、コルクといった、今でこそ珍しくはないがかつては見向きもされなかった素材を使用した靴や、スエードやキット、ワニ革といった高級素材を変わった材料や思い掛けない色と組み介わせた靴、ウエッジヒールやアラジンの靴のような美しくて幻想的で新奇な形の靴が、今も色褪せず.輝き続けている。しかし、靴は美しいだけでなく、それを履いて歩かなければならない。そんなデザイン制約の大きな靴。そのちいなさ立体をこれほど変化に富んだ造形物、しかも素晴らしく精巧な仕上がりにしたのは、サルヴァトーレ・フェラガモの芸術性と職人気質だった。その証拠にフェラガモが取得した350に及ぶ特許は、彼のずば抜けた発明の才能を証明している。50年に渡る靴づくりの中で革新的なデザインが生み出されただけでなく、技術の進歩にも大きく貢献を果たしていたのだ。そしてこれらの原型は「フェラガモ」だけでなく、今なお現在の靴づくりに生かされている。
創始者のサルヴァトーレ・フェラガモは、9歳にしてすでにイタリアの伝統の技を修得し、11歳で靴屋を開業して一生の仕事にしようと決めていたという、根っからの靴職人であった。15歳の時、兄弟を頼ってアメリカへと渡り、当時日の出の勢いであったハリウッドで歴史物、ウエスタンなどのいろいろな映画のために靴のデザインをするチャンスを得た。この頃のアメリカでは靴は機械生産が主流であり、俳優の役柄に合わせて1点1点靴を作るのは面倒なことであった。しかし、一方、フェラガモは機械生産を拒み、すべて手作りで仕上げることに情熱を燃やしており、両者の利害が一致しこの大きなチャンスが訪れたのだった。初めは映画の衣装としての靴を手掛けたのだが、やがて俳優たちの私用の靴も請け負うことになる。メアリー・ピックフォードをはじめとして、マレーネ・ディートリッヒ、ルドルフ・ヴァレンティノ、チャールズ・チャップリンなど女優や男優のために靴を作り、スターの靴職人としての名声を得た。しかしアメリカで生産する限界を感じ取り、職人の国イタリアでの生産を目指し、28歳で帰国。フィレンツェに工房を開設するが、アメリカの大恐慌のあおりを受けて1933年に倒産してしまう。
サルヴァトーレ・フェラガモは35年に会社を再建し、アメリカのほかイギリス、フランスなどへの輸出の道を聞いていく。37年には由緒正しいスピーニ・フェローニ宮殿を購入できるまでに築き上げた。サルヴァ卜ーレの靴作りは、たとえ王妃だろうと靴を脱がせ、まるでマッサージをするかのように自らの手で入念に採寸することから始まった。サイズだけでなく、足の形、特徴を調べるためである。そこからはじめて木型を起こすのである。サルヴァトーレは足の骨格を学び、靴を履いたときにか
かる重心の位置を徹底的に研究し、土踏まずこそが鍵であることをふ突き止めた。そのため彼の作り出す靴は、土踏まずを支えるさまざまな実験から生み出された、履き心地が抜群のものであった。しかも、斬新なデザインとの両立を実現させたものだった。ファッションの中で、靴ほど建築に近いものはなく、靴はいわば、足のための住居である。外観、個々のスタイルを示しながら、内では快適で実用的な役目を果たさなければならない。サルヴァ卜ーレ・フェラガモが天才と呼ばれるのには、単なる靴のテザイナーではなく、他のどの靴職人よりも、こうした靴の建築家という面を強く持ち合わせていたからであろう。誰よりも独創性と技術力を発揮したフェラガモの靴だからこそ、彼のもとに世界中から靴を求めてやってきたのだ。
現在、「フェラガモ」の靴は1点1点の手作りというわけにはいかず、機械で生産されているが、100%イタリア生産の高い品質を誇り、「履いた瞬間に快適でなければならない」というサルヴァトーレの理念は受け継がれている。さらに従来のブランド・ビジネスとは一線を画し、本質的価値の高い作品を適正価格で提供しようとしている。つまり、ブランド名に高額な付加価値を付けることを拒否し、その商品の品質そのものに対する価格設定を重視している。その理由で、他のブランドが手っ取り早く利潤を得られるライセンス・ビジネスを手掛けるのに対して、「フェラガモ」はブランド名
だけで高い価格を求めるライセンス製品をおこなっていない。
長く愛用できる高い品質と値頃な価格設定、ブランドの信頼性を維持すること、これらの企業戦略が、「フェラガモ」が今もなお世界的に躍進している理由であろう。言い換えれば、イタリアの伝統的な職人気質が今も息づいている「フェラガモ」だからこそ、21世紀にも力強く飛躍していくのだろ
う。