イエーガー JAEGER:1884-(UK)

イエーガー JAEGER:1884-(UK)

イエーガーとは、英国のメンズ、ウィメンズ、アクサアリー のラグジュアリーブランドである。 1884年にロンドンで設立されて以来、スタイリシュで 革新的なデザインを守り通している英国王室御用達ブランド。(2017年08月17日 最終更新)

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ブランド
上質な天然素材製ニットとウール製衣料を主体としたブリティッシュトラッドの高級ブランド。名前の由来となったドイツのシュトゥットガルト大学教授ギュスターヴ・イエーガ博士は、動物学と心理学が専門で、1870年に「健康文化」という論文を発表した。その中で、皮膚呼吸理論に基づく「賢者ウールを選ぶ」という標語を掲げている。その考えは以下のようなものだ。動物である人間は、動物性繊維を用いた方が衛生的だ。ウールには動物の生命を保持する性質があるので、からだの分泌物の発散を促し、夏は涼しく冬暖かい。
さらに博士は、自らもウール下着の着用で虚弱体質を克服したと主張した。彼の数々の講演や著書の出版、博士の理論に基づく下着の販売により、ドイツでウールブームが起こる。
イギリスでも1880年代半ば、肌の通気に関心が払われるようになった。重ね着や厚地の服は、発汗や老廃物の排出を妨げると考えられるようになり、新しい衣服理論が展開されていく。帝国主義のもと、強い国家が目指されたという時代背景があったからだ。政府として国力の強化に繋がる国民の健康に目を向け始めた。
そうした時に、イギリス人ルイス・トマリンはウ-ルブームのドイツに滞在する機会を得た。当時彼はロンドンの雑貨卸会社でマネージャーをしていたが、博士の理論に強い感銘を受け、イエーガー博士の肌着をイギリスで独占販売する権利と、博士の名前の使用権を取得した。帰国するとロンドン
のオクスフォード通りに店を構え、1883年に「イエ-ガー商会」を設立する。100%ウールの衛生下着や、無漂白のウール・キャメル製下着、肌着を扱った。
折からロンドンで国際健康博覧会が開催され、ウール下着は金メダルを獲得する。当時、通気性に富み、薄くて暖かな下着を求めていたイギリス人にとっては、まさに時代の声を反映した商品だったといえよう。
イエーガー博士はウールを推奨するだけではなく、植物繊維や染料を攻撃することも憚らなかった。布の全てを無漂白のウールにするように訴えるまでになっていった。ただしイエーガー商会が扱っていたのはドイツ製品だったため、イギリス圏内の羊毛業者を圧迫しているといった非難の声も上がった。それをかわすように、イエーガー商会はようやく国内の生産体制を整え、ますますイギリスに定着していくこととなる。
同社の成功は、イギリス国内に幾つかの下着メーカーを生むきっかけともなる。ウールのブームは階級を越えて広がり、下着ばかりか、頭の先から足の先までをウールで包み、ウールのシーツで眠る人が出るほどに、エスカレートしていった。
薄くて軽く、それでいて暖かいウールの下着は、ウエストをコルセットで締め上げる当時の女性服に反対する合理服運動、またラファエル前派の画家たちが提唱するエステティック・ドレスなどにも合致した。たとえば、オスカー・ワイルドやE・W・ゴドウィンは、薄地でつくられた古代ギリシア風のシンプルなエステティック・ドレスを寒いイギリスで着用するには、ウール下着を身に着けなくてはならないと主張した。
同社は、1900年代に事業を拡大。カーディガン、ドレッシングガウン、スポーツ・セーター、ニットのジャンパー・ス-ツ、レースニットのショールなどを展開する。第一次世界大戦を経て1920年代になると、女性服の現代化とともに、より軽くて実用的な下着が求められるようになった。そこで同社は、ますますアウターウェアの比重を高め、コートやスカート、パンツ、ツインセットなどを手掛けるようになる。ただし、これらもほとんどウール製だった。1933年には、健康衣料に対する人々の見方が大きく変わったこと、それによりイエ-ガー商会は流行の商品を扱うブランドに方針を転換していくことを明言している。下着もデザイン性に富んだおしゃれな商品に変わる。
現在、イギリス国内には200店以上の店がある。海外店は2000年に100店舗を超えたが、さらに出店を進める計画という。日本では、皇太子の雅子妃が外務省勤務時代に愛用していたブランドの一つとして脚光を浴びたことがある。婦人服は商社が直輸入しており、店鋪も銀座の路面店をはじめ全国で展開されている。紳士服は、ライセンスによる服、ネクタイ、革小物などが販売されている。